ストーリー
story
ナツとその友人ハル、アキ、フユは4人で演劇の上演を計画している。
夏が過ぎゆくにつれて、ナツの周囲ではさまざまな変化が起きつつある。
4人もまた、別々の道を進まざるを得ない。
いつまでもこのままでいるのが当たり前だったナツは、
その変化をもどかしく受け入れながら、もはや2度とないこの「夏」を精一杯に生きようとする。
2022年10月12日お知らせ
第14回日本映像グランプリに入選しました! 10/23(日)に東京と神戸で上映されます。
2022年9月21日お知らせ
新宿ケイズシネマでの上映は終了しました。たくさんのかたのご来場、ありがとうございました!
2022年9月16日お知らせ
フィリピンのDREAMANILA 2022に入選!
2022年8月10日お知らせ
「逝く夏の歌」公式ホームページ オープンしました。
一貫して「青春のもののあわれ」をテーマに8ミリフィルム映画をつくり続けてきた 仙元浩平監督の長編デビュー作。中原中也の詩「逝く夏の歌」にインスパイアされた 本作もまた、ハル・ナツ・アキ・フユという4人の青年を軸に、過ぎゆく青春の煌めきを、 愛惜を込めて描く。
第22回ニッポンコネクション(ドイツ・フランクフルト)に選出され、 「映画と詩の融合」と評されたとおり、豊かなポエジーと、村上卓による美しい音楽が、 8ミリフィルム独特の情感を高めている。
儚いからこそ愛おしい――そんな監督の思いは、俳優の誠実な佇まいと、 ていねいでスタティックな撮影があいまって、全体として静かながらも美しい夢のような 作品に結実している。
ナツとその友人ハル、アキ、フユは4人で演劇の上演を計画している。
夏が過ぎゆくにつれて、ナツの周囲ではさまざまな変化が起きつつある。
4人もまた、別々の道を進まざるを得ない。
いつまでもこのままでいるのが当たり前だったナツは、
その変化をもどかしく受け入れながら、もはや2度とないこの「夏」を精一杯に生きようとする。
山形県出身。映画『扉を閉めた女教師』(2021年/城定秀夫監督)で メインキャストを務めたほか、『クロガラス3』(2021年/小南敏也監督)、 『そしてまた宇宙船に乗る彼等は』(2021年/仙元浩平監督)、 『シオリノインム』(2019年/佐藤周監督)をはじめ映画やVシネマなど映像を 中心に活動。舞台出演も多数。
神奈川県出身。自主映画を中心に活動。 映画『夜を越える旅』(2021年/萱野孝幸監督)はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭で 優秀作品賞と観客賞を受賞。また第34回東京国際映画祭で上映。 その他『声に知られぬ』(2021年/山口真凜監督)、 『海底悲歌』、(2021年/堂ノ本敬太監督)、『Sirens』(2018年/宮坂一輝監督)、 『今日もどこかで起こるそれなりの事件』(2018年/淡梨監督)等に出演。
モデル、俳優として活動。
神奈川県出身。法政大学在学中に役者を志す。 ドラマ「孤独のグルメ」(2014年)、映画『デメキン』(2017年)、 ドラマ「特命おばさん検事!花村絢乃の事件ファイル」(2019年)、 映画『99.9-刑事専門弁護士-』(2021年)など数多くの映像作品に出演。
東京都出身。10歳で初舞台を踏む。ミュージカル「葉っぱのフレディ」で農林水産省 「みどりの大使」に任命。舞台「新撰組」俳優座公演、世田谷パブリックシアター主催 「The Silver Tassie銀杯」(演出 森新太郎)、2.5次元ミュージカル「忍たま乱太郎 第10弾」ユキ役など舞台を中心に活動。『逝く夏の歌』では初めてヒロイン役に挑戦。 最近は東京芸術劇場プレイハウスにて舞台「奇跡の人」に出演。
群馬県出身。主に下北沢を中心に劇団狼少年の看板女優として活動中。その他、映画『CUT』(Cole Balager監督)、『IMAGE』(矢野瑛彦監督)、 『のれそれ』(管勇毅監督)、 『へそのお』(三谷友貴・中村有監督)、次回作に『ピストルライターの撃ち方』(眞田康平監督)の公開を控える。
東京都出身。 父親は内海進(東宝映画怪獣作品スーツアクター。初代キング・ギドラなど)、 叔母はうつみ宮土理。あすなろ劇団研修生後、殺陣師立川良一主宰アクション道に参加。 『貴美子のまち』(芦澤麻有子監督)、『ドキ死』(井上康平監督)、 『親鳥よ、静かに泣け』(三浦克己監督)、『夜の帳につつまれて』(松林悠依監督)、 『また春がきやがって』(堀内友貴監督)ほか、多数の作品に出演。
愛知県出身。ショートムービーやドラマ等で活躍。 『逝く夏の歌』では子役の佐竹 湊と親子で共演。
東京都出身。高校卒業後、劇団前進座附属養成所入所。 卒業公演「雨あがる」(2019年)で劇中三味線を弾く旅芸人の親方役として初舞台を 踏む。その後劇団の活動、外部出演等を経て本作で映像デビュー。 作中でも三味線に挑戦している。そのほか、前進座作品の歌舞伎「牛若丸」(2021年)、 狂言舞踊「棒しばり」(2022年)、「お六と願哲」(2022年)等に出演。
神奈川県出身。桐朋学園芸術短期大学卒業。 2021年YouTubeホラーちゃんねる第1回映画祭にて松岡寛監督「KNOCK」が ホラーちゃんねる賞を受賞。 これまでの出演作に「カウラの班長会議」(坂手洋二演出/燐光群)、 テレビ朝日「おかしな刑事」(梶間俊一監督)、「奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語」 (辻野正樹監督)、「月いちリーディング」(日本劇作家協会)など。即興演劇、 モデルとしても活躍。最近は映像作品を中心に活動。
東京都出身。最近の出演に、映画『ダブル・ライフ』(余園園監督)、『ほどけそうな、息』(小澤雅人監督)、ドラマ「雪女と蟹を食う」(TX)、「恋なんて、本気でやってどうするの?」(KTV)、「ゲキカラドウ」(TX)、CM「ピタットハウス『新任店長挨拶篇』」等。また、写真展「川口紗弥加×福島裕二写真展-DISCLOSURE01-」、書籍「写真がもっと上手くなるポートレートテクニック事典101+」(インプレス/著・大村祐里子、他)等で被写体をつとめるなど、モデルとしても活動している。
東京都出身。ニューヨーク大学映画学科卒業。自主映画製作グループ「第七詩社」主宰。 20年以上にわたって8mmフィルムによる自主映画をつくり続けている。国内外での映画祭の受賞多数。
三重県出身。第七詩社のメンバー。大学在学時から映画批評、映画論を学ぶかたわら自主映画を制作。 主な監督作に『船と歯車』(2007年)、『Weeds Still Float』(2009年)。 最新作『風下の歌、川上の虹』(2018年)はレインダンス映画祭のオフィシャルセレクション選出。 仙元監督作品の撮影は前作『そしてまた宇宙船に乗る彼等は』以来2作目。
神奈川県出身。第七詩社のメンバー。『胸騒ぎを鎮めろ』(2006年)がPFF入選。 ほかに『Say Goodbye』(2009年)、『同僚の女』(2009年)、『世界に一つだけの花』(2013年)などの 短・中編を監督、高い評価を得る。最新作『阿吽』(2019年)は全国公開され、大きな話題となる。
茨城県出身。第七詩社のメンバー。監督作の『少年と女』(2012年)、『革命から遠くはなれて』(2015年)は 共に8ミリモノクロフィルムによる作品。楫野監督の『阿吽』では撮影として参加、やはり8ミリモノクロフィルムで 独自の世界観を表現した。
東京都出身。アメリカShenandoah University音楽科卒業。 これまで仙元監督の数多くの作品で即興によるピアノ演奏で劇伴曲を担当。
有志のメンバー6名からなる自主映画製作グループ。2012年に東京で結成。 これまで仙元監督作品のほか、楫野裕監督『阿吽』(2019年/吉祥寺アップリンク等で公開)、 伊東知剛監督『風下の歌、川上の虹』(2016年/ロンドン・レインダンス映画祭入選)等を製作・上映している。 現在、楫野裕監督の新作を製作中。
冒頭の海岸で戯れる4人の若者たち。やがて彼らの名前がナツ・アキ・フユ・ハルと知れ、ナツとその家族が中心とわかるが、4人の若者たちの名前は、当然ながら春夏秋冬という四季を象徴するのは想像に難くない。海岸の彼ら4人の姿を映し出す映像はつねに固定カメラによる遠景でとらえられ、また夏の海を背景にしていることから、いわば「青春」の1頁としてノスタルジックな記憶に昇華される印象が強い。
仙元浩平監督の『逝く夏の歌』は、中原中也の詩にインスパイアされながら、青春時代にともに学び遊んだ若者たちの旅立ちの映画である。人生は歳月の流れのなかで移り変わっていかざるをえないが、とりわけ社会に出ていく入り口にさしかかった20歳前後の若者たちの心情は希望や不安で大きく揺れ動くことだろう。おそらく人々が自分の人生を初めて真摯に振りかえる時期に当たるかもしれない。
そうした青春期の若者たちを描きながらも、『逝く夏の歌』にはノスタルジックな雰囲気が濃厚である。それは監督自身がその時期をとうに超えた年齢にいるということもあるが、映画的には8ミリフィルムによる撮影という点が大きい。8ミリフィルムによる濃淡のコントラストや淡い輪郭などが一種の過ぎ去った世界の雰囲気を醸し出しているからだ。もしデジタル撮影だったら、果たしてどんな効果をもたらしていただろうか。
さらに小津安二郎の映画の記憶が重なる。知られるように、小津映画では日常生活を描きながらも無常や諦念が漂っているが、『逝く夏の歌』はそんな小津映画の世界に通じるものがある。実際、小津安二郎へのオマージュなのか、カメラがローポジションに置かれたり、またナツとユリが電車の吊り革につかまるシーンでは相似形の動きが見られたりする。タイトル字幕が布地に描かれるのも小津映画を想起させる。
そんな小津映画の無常観や諦念に通じる『逝く夏の歌』は、それでも新たな旅立ちをする若者たちの希望を伝える。工事現場で働くハルは独り立ちして新たな現場に赴き、フユは母親の世話のため実家に戻る。ナツがバイトする研究所の先輩は栄転し、海外から戻ったマリは結婚を決める。一夏の歳月が流れるなか、人々の人生はそれぞれ転機を迎える。そしてナツも白ネクタイを締めて花束を持って幼馴染みのユリに会いに行く。
人生は時の流れとともに移りゆく。それは確かだとしても、人々はその都度、行く道を選択する。その選択が正しいか間違っているかは、問題ではない。選択する意志が重要といえる。なぜなら人生は1回きりであり、リセットできないからだ。有為転変のまぬがれがたい流れのなかで決意したからこそ愛惜として心に残る。『逝く夏の歌』はまさにそうした人々の感情のあり方について愛惜を込めて描き出した世界といえる。
私たちの人生において、季節は幾度も移り変わる。しかし1つひとつの春・夏・秋・冬が、長く記憶に残るわけではない。祝日の記念写真や、家族集合といった半ば義務的なことでもなければ。夏はとりわけ、別れの季節である。(ヨーロッパの)若者にとって、夏は卒業シーズンだ。青春の最期を飾る、とても重要な節目である。これまで数多くの映画、文学、とりわけ詩が、この季節にささげられてきた。
仙元浩平の長篇デビュー作『逝く夏の歌』は、これら3つの芸術表現の境界を結び繋いだものだといえるだろう。彼は映画と文学の融合に常から興味を抱いてきた。そしてこれまで彼がつくってきた短篇作品においても、無常や季節の変遷が主要なテーマとなってきた。題名『逝く夏の歌』は、著名な日本の詩人の作品に由来するが、映画・文学・詩の融合、そして同様のテーマは、彼のこれまでの作品において一貫している。
物語は、ナツ・アキ・フユ・ハルという4人の青年をめぐって展開する。彼らは東京に住み、それぞれの環境に甘んじながら、青春期を過ごしている。しかしいまや、彼ら自身は認めたがらないものの、旅立ちと別れの季節を迎えようとしている。 そのうちハルが、建築現場の監督としての責任をより大きく負うようになる。フユもまた旅立ちを間近に控え、彼らの最後の夏も終わりを告げようとしている。ナツは、研究室でのアルバイトをしながら、4人の友情と、共に過ごした時間を劇に結実しようとする。
多くの面において、『逝く夏の歌』は、物語とスタイルが融合された映画の好例である。8ミリフィルムならではの独特の映像は、あたかも友だち同士が見せ合うホームビデオのようでもあり、それが物語の主眼でもある郷愁と無常観を際立たせている。8ミリでの撮影自体は困難であるが、それゆえに1つひとつのショットが入念に練られ、その瞬間・瞬間が特別なものであり、2度と繰り返されないものであるがごとくに、大事に撮られている。いずれのシーンも、4人が一緒にいられるのはそのときが最後であるということを、彼ら自身が気づいていく過程を描いているわけである。
彼らが共に過ごす瞬間は取り返しのつかないものである。それを仙元は愛おしむように捉える。これは感動的とすらいえる。 技術的なことに加えて、俳優たちの演技もまた、物語に大きく寄与している。4人の少年を演じる俳優たちからは、信ずべき親近性が感じられる。彼らは別々の道に進んでいく。そして愛する人と別れを告げなければならない。俳優たちはまるで、その痛みを共感している、実際の友だちであるかのようだ。この印象をさらに強めているのが、ロケーションである。繰り返し描かれる線路沿いの道を一例として、個々の場所が物語の情感を高めている。村上卓の美しい音楽もまた、これらのシーンが観客の郷愁を呼び起こし、この物語のポエジーをかきたてるのに大きな役を担っている。このポエジーこそが、仙元が長篇デビュー作において追求しようとしたもののようである。
結論として、『逝く夏の歌』はドラマというよりも、旅立ちと別れについての、映画と映像詩の融合による表現である。仙元浩平はユニークかつ興味深い手法で物語る。美しい音楽とすばらしい演技がまた、この物語に大きく貢献している。