シュルレアリスム映画研究会について

 第七詩社ではシュルレアリスム映画研究会なるものを定期的に開催している。
 これはグループの主宰である仙元浩平の個人的な思い入れによるものであり、
 他のメンバーには少なからず迷惑なことであるかもしれない。

 映画はその本質においてシュルレアルなものであるのか? という問いが
 この研究会の発足を促した。
 たとえば「映画とは幻想にあらずして、現実界においては容易に捉えられない真実の、
 しかも現実的表現である」とすれば、
 またたとえば、「映画とは現実の濃密な表現である」とするならば、
 すべての映画がおよそシュルレアルなものになるかもしれない。

 にもかかわらず、よりシュルレアルな映画とそうでない映画があるならば、
 映画の本質にかかわることとしてシュルレアルは存在し得ない。

 あるいは、もし映画とはすぐれて「痙攣的な」ものであるべきだ、とするならば、
 シュルレアリスムは少なくともある志向性を具えることになるだろう。
 これは作り手のまなざしとしての志向にとどまらず、
 映画を観るという体験にかかわる作法になってくる。

 果たしてこのような問いかけに実効性があるのかどうかは不明であるが、
 ともかくシュルレアリスム映画研究会は、
 この種類の研究会としてはおそらく日本で唯一であろうことを矜持として、
 いまのところ続いている。

 なお研究会の成果は文書にまとめて、本サイトに掲載するほか、
 上映会などで頒布し、より多角的かつ広範な指導と批判を仰ぎたい。


 
これまでに開催したシュルレアリスム映画研究会

 シュルレアリスム映画といえば『アンダルシアの犬』に尽きるだろうことに異論はないが、
 まずこの勉強会では、あえてシュルレアリスムの周縁をたどることから始めることとした。
 周縁とはいえ、少なからずシュルレアルという文脈から語られる映画をとりあげ、
 シュルレアリスムとの境界線を探ることで、
 映画の本質としてのシュルレアリスムの存在の有無を観察した。
 これが第Ⅰ期である。

 第Ⅱ期は、第Ⅰ期の作品選定がやや横道に逸れ過ぎてきたところで、
 あらためてシュルレアリスム映画の系譜を歴史的にたどることとした。
 以下、それぞれの期で鑑賞した映画を紹介する。

 第Ⅰ期(第1回~第9回):シュルレアリスム映画の周縁をたどる
 第Ⅱ期(第10回~):シュルレアリスム映画の歴史をたどる

 

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